セックスを求めれば求めるほど、パートナーの目には自分の価値が下がっていく。セックスレスドラマ『あなたがしてくれなくても』にみる受動的攻撃性
先日最終回を迎えたテレビドラマ「あなたがしてくれなくても」は、話題になったこともあり視聴した人、もしくは観ていなくてもタイトルだけは知っている、というような人も多いのではないでしょうか。2組の夫婦のセックスレスを女性目線だけではなく男性目線からも描いたこちらのドラマについて、TRULYでパートナーシップについて記事を連載している此花さんに解説してもらいました。
こんにちは。リレーションシップコンサルタントの此花わかです。
最終回が賛否両論を呼んだドラマ『あなたがしてくれなくても』。ドラマ『昼顔』の制作スタッフが9年ぶりに再集結した本作は、ハルノ晴氏による大ヒット同名コミックが原作で、2組のセックスレス夫婦の葛藤を痛いほど切なく描いています。
善悪で二極化できない複雑な人間性、繊細な性のあり方、言動や心の動きのリアルさなど、コミックもドラマも非常に秀逸。
そもそも、タイトル『あなたがしてくれなくても』には、どこか非常に引っかかるものがあります。ものすごく受け身な言葉なのに毒々しさをはらんでいると思いませんか?
受動的攻撃性「パッシブ・アグレッション」とは?
“受け身なのに毒々しい”。このタイトルは登場人物4人の受動的攻撃性を体現していると筆者は思います。
受動的攻撃性、パッシブ・アグレッションとは、否定的な感情を直接伝えずに、間接的に表現する行動のこと。受け身で攻撃することです。言いたいことがあっても伝えず、問題を直視せず、自分の不満を主張しません。
例えば、皮肉を言う、褒めるべきところでイジる、先延ばしにする、不機嫌になる、イライラする、無視するなどが含まれます。ダイレクトに思っていることを言葉に出して、相手と対峙しない。
パッシブ・アグレッションは精神障害ではなく、性格、生い立ち、人生経験など様々な要因から築き上げられたもの。唯一、改善する方法は自分がパッシブ・アグレッシブだと自覚し、コミュニケーションスキルを向上させて行動パターンを変えるしかないのです。
家事分担やセックスレスに不満があるのに2年も我慢を重ねて、他の男性に惹かれていくみち。
みちがセックスレスの話を持ち出しても、「そんなにしたいの? みち性欲強くない?」とはぐらかし、浮気する陽一。
自分にまったく構わない楓に、不満を伝えて話し合うよりも、黙って尽くし、他の女性に恋する新名。
新名とセックスしたくないのに、その理由をきちんと伝えず、セックスしたい新名に罪悪感を覚えさせる楓。
全員がパッシブ・アグレッションの持ち主で、パートナーと感情をぶつけあって決着をつけるよりも、恋、浮気や仕事に逃避します。そうして問題を先送りにしていくうちに、事態が悪化していく……。
セックスを求めれば求めるほど、パートナーの目には自分の価値が下がっていく
セックスを一方的に拒否されるみちと新名に同情する人も少なくないのではないでしょうか? 陽一と楓はパートナーのニーズを知っていながらも無視し、自分にとって都合のよいライフスタイルを維持します。
なぜ、陽一と楓は、みちと新名をパートナーとして尊重できないのでしょうか?
それは、「人間はもっていないものしか欲せない」という心理が奥底にあるからだ、と『セックスレスは罪ですか?』の著者であるエステル・ペレル性科学者は説明します。
みちと新名は、陽一と楓にとって「いつもそばにいて、何でもやってくれる」パートナー。陽一と楓は、みちと新名でお腹がいっぱいになっているから、欲しくないのです。
みちと新名がよかれと思って相手に尽くし、相手を求めれば求めるほど、陽一と楓にとって彼らがどんどん価値のない相手になっていく……。
この物語を見て分かるように、セックスは性欲ではありません。セックスは“感情”。ひょっとしたら、陽一の“妻だけED”は、みちが、小言を言いながら自分の世話をやく“お母さん”のような存在になってしまったのも一因かもしれません。(とはいえ、陽一はEDをみちのせいにせず、自分の性のあり方を探求すべき!)
同様に、新名も同じく楓の“お母さん”のよう。子どもは母親に性欲を感じませんよね? 私たちはパートナーに対して“母親”になってはいけないのです。
日本のセックスレスが世界一多いのは、伝統的なジェンダーロールが強く、夫婦が“母と子ども”になってしまうのも理由のひとつかもしれません。
こういった関係に陥らないためにはどうすればよいか?
ペレル博士は「距離をおき、日常のすべてを分かち合わないミステリアスな存在でいる」とセックスカウンセリングで指導しているそう。結婚しているカップルに「別居や離婚」を勧めるときもあるのだとか。同居して日常を共有するのではなく、別居して“他人”でいることがセックスレスの解消になる場合もあると言います。
興味深いことにこのペレル博士の考えは、みちと陽一のエンディングと符号しませんか?
カップルは一心同体にならないことが大切
パートナーと“一心同体”にならないでいることが大切だと説くペレル博士。
カップルの2人がそれぞれの自律した人間ではなく、ひとりの“夫婦”というアイデンティティになると「相手を知りたい」「相手がほしい」という興味が失せてしまう。
でも、愛し合って一心同体でいるのが夫婦なのでは?
そう思う人も多いでしょう。けれども、結婚の価値観は時代により変化してきました。「愛し合って一心同体でいる」「永遠に愛し合う」という現代の価値観になってから、まだ数十年しか経っていないのです。
私たちの祖父母の時代ぐらいまでは、成人として必須の社会的・経済的共同体だった“結婚”。恋愛感情や性的欲求は結婚に関係ないものでしたし、多くの人にとって(特に女性)セックスは結婚しないとできないものでした。
しかし現代は違います。恋愛、セックス、経済的協力、友情、育児のパートナーシップ……と結婚相手にすべてを期待するようになりました。だからお互いの期待に応えられず、離婚するカップルが増えているのです。
とはいえ、子どもがいるとそんなに簡単に別居や離婚はできませんよね?
ですので、私たちはできるだけ、自分のことは自分でする、お小遣い制にしない(お小遣い制は夫婦を“母と子ども”関係にしがち)、家事育児を公平に分担する、いつも夫婦だけで行動しない、自分だけの世界をつくる、モヤッとしたらすぐに話し合う、相手を対等な他人としてリスペクトする……など、一定の距離感を保つほうがいいかもしれません。
(上記は単なる筆者のアイディアなので、様々な取り決めはカップルの間ですり合わせてくださいね)
セックスレスの理由はケースバイケースで、魔法の解消方法はありません。性的ミスマッチを埋めるにはお互いの話しを聞いて、理解を深めて解決策を一緒に考えることしかできないしょう。
それでも根本的なミスマッチを乗り越えるのは難しい。大切なのは自分の境界線を引き、リアリスティックな落とし所に納得するか、別れるしかないと思います。
欧米では離婚率が5割にまで上り、結婚前に子どもをつくって育児パートナーとして相手を見定めてから結婚する人が増えたり、結婚ではなく事実婚を選んだりする人が年々増えてきました。
婚姻数が下がっている日本もまた、パートナーシップの価値観に変化が起きているのではないでしょうか。セックスが単純な性欲ではなく、複雑な“感情”であることを教えてくれた『あなたがしてくれなくても』は、そんな価値観の変遷の中で生まれた作品だと思います。