人間関係やパートナーシップにも影響する「世代間トラウマ」とは
母親との関係に悩むようになったきっかけ
【律子さん(45歳)の場合】
45歳の女性、律子さん(夫と一人娘あり)は最近になり母親との関係に悩むようになりました。先日、律子さんは娘の教育方針や夫婦間の役割分担などで夫と意見衝突がありました。
これまで律子さんは家庭内に波風が立たぬよう夫の意見を尊重してきましたが、ついに溜まってきたイライラが爆発したのです。お互いに頭を冷やすためにしばらく別居することに。
そこで律子さんは母親に、しばらくの間実家にいさせてくれないかと頼んだのですが、「夫に感謝して我慢しなさい」「あなたが実家に帰ってきたら、近所の人に何を言われるか分からない」などと律子さんの言い分に耳を貸そうともしません。
律子さんはフルタイムで仕事をしており、子供ももう大学生で寮に住んでいます。短期間、帰省することがそれほど家族に迷惑をかけるとは思えません。それよりも、母親が律子さんのことを心配せずに、世間体を気にすることがひっかかりました。
過去を振り返ると、母親は常に彼女に“条件つきの愛”を求めてきたのでは、と疑うようになってしまいました。
大学進学、就職、結婚……人生の岐路に立ったときに母親がくれたアドバイスは、律子さんの幸せではなく「世間にどう思われるか」「よき娘であるか?」にあったのでは、と感じるようになってしまいました。「ひょっとしたら私の母親は毒親だったのかも」と思うようになった律子さん。
私の母親は毒親?それとも世代間トラウマ……?
家父長制におけるジェンダーロール(性差[男女の性別]による役割や分担)が強い親をもつ更年期世代のなかには「自分の親が毒親だったのでは…」と悩む人が少なくありません。でもそれは、もしかしたら「毒親」ではなく、「世代間トラウマ」が原因のこともあります。
律子さんの母親世代は、律子さんより強い「よき娘」「よき妻」「よき母」の性別役割分業が強かった時代。そんな社会規範のなかで生きてきた律子さんの母親が特に毒親だったわけではなく、律子さんの母親には”個人の幸せ”よりも、“~らしさ”を最重要視する価値観が刷り込まれているのです。
これは家父長制において女性が代々受け継ぐ”刷り込み”で、人にとってはトラウマになるほど受け入れがたい価値観なのです。
最近よく“毒親”や“親ガチャ”という言葉が使われますよね。親のもつ毒性が子どもに影響を及ぼすからこそよく使われる言葉ですが、世代間トラウマの考え方にもつながります。今回は、親から受け継いだかもしれない毒性に心あたりがある人のために、近年、多くの心理学者たちが探求している、“世代間トラウマ”について説明します。
親から子へ連鎖する「世代間トラウマ」とは?
「トラウマ」とは強いショックや恐怖を受けるできごとや異常な体験によって心に受ける深い傷。子供の時、若い頃や過去の体験が、長い時間が経った後に心や行動に影響を及ぼすこともあります。
そして「世代間トラウマ」とは、ある世代から次の世代へと続くトラウマのこと。家族や共同体などの集団がトラウマになるような出来事を経験すると、その集団に属する人たちが下記のような身体的、心理的な症状が出ることがあります(2022年にエマ・M・リーズ博士らが発表した研究)1
- 不安
- うつ病
- 心臓病
- 心的外傷後ストレス障害(PTSD)
世代間トラウマは、歴史的・構造的差別により起きる大きなトラウマが代表的ですが、家庭内のトラウマも含みます。
ホリスティック心理学者であり、「トラウマ」と「セルフヒーリング」にフォーカスし、ベストセラーを出版し、Instagramで696万人以上のフォロワーをもつインフルエンサ―でもあるニコール・レペラ博士は、家族内のトラウマは、トラウマだと認知されず、“当たり前”で“普通”の行動だと受け止められていることが多々あると説明します。
レペラ博士自身、家族が“共依存に陥っているパターン”や、家族のメンバーが“無意識にお互いの境界線をこえてしまうパターン”に気づいたのは30代になってからだといいます。
レペラ博士いわく、私たちが家族から受け継ぐのは外見だけではなく、物事に対する対処の仕方、感情との付き合い方、人間関係の築き方、コミュニケーションの取り方、そして考え方のコアとなる信念なども家族から引き継いでしまうから、親世代のトラウマを子どもたちが引き継いでしまうことになると主張します。
「子どものころの私たちはスポンジのように、目にするものすべてを取り込み、学習します。学習は行動や反応に影響して人間関係を作ります」(ニコール・レペラ博士)2
世代間トラウマの兆候とは?
2021年3と2023年4の研究によると、世代間トラウマのサインは下記のとおり。
- 自分の価値が低いと感じる
- 不安をいつも感じている
- 疎外感、自分自身が周囲から切り離された感覚
- うつ
- 感情の麻痺
- 批判的思考、意思決定、時間の管理などの生活スキルの低下
- PTSD症状(社会的に孤立していると感じる、否定的な考えを持つ、趣味に興味がなくなるなど)
こういった感情に常日頃から悩まされているようでしたら、有資格の専門家に相談しましょう。
世代間トラウマを癒す前に……
トラウマ治療はクリニックの専門家に相談するの大事ですが、ニコール・レペラ博士は、まずは自己認識を深めることをすすめます。その方法は以下のとおり。5
世代間トラウマを癒すために必要な自己認識
1 自己観察を通して自分のパターンに気づく
自分が何を考え、何を話し、 誰と一緒に時間を過ごし、状況にどう反応するかを認識する。日記を書くのもよい。
2 家族のパターンに気づく
家族の中でそれぞれが境界線をもっていて、ちゃんと守っていますか? 家族内の人間関係はどうなっていますか? コミュニケーションをとっていますか? 全員がきちんと自己主張していますか? 何かを我慢しているのにそれを家族に伝えられないと、コミュニケーションに問題があるのかもしれません。
3 自分の心を傷つける引き金(トリガー)に気づき、呼吸することを学ぶ
トリガーとは、過去のトラウマに対する現在の反応です。トリガーを引かれたと感じたら、きちんと呼吸をしてそれを書き留めることで、自分のトラウマを認識することができます。
4 境界線を引く練習を始める
自分の3つの境界線を書きだして、境界線をこえられそうになったら、きちんと相手に伝えましょう。「心配してくれるのはありがたいけれど、これは私の境界線だから、これ以上、私の問題に立ち入らないでほしい」と日頃からNOと言う習慣をつける練習が必須です。
5 自分だけの興味や趣味を見つける
パートナーや家族と距離を置いて、自分のことだけに集中できる時間を定期的に作りましょう。
6 自分との小さな約束を毎日守る:
「今日はジムに行く」「今日はこの本を読む」と決めたら、よほどのことでない限りパートナーや家族のニーズよりも自分を優先しましょう。
7 利き手でない方の手で、インナーチャイルドに手紙を書く:
インナーチャイルドとは、人が幼少期に経験した感情的・心理的な体験を指し、無邪気さや遊び心、傷つきやすさといった子どもらしい側面を表しています。インナーチャイルドがあなたと一緒にいれば安全だと伝え、インナーチャイルドが経験した痛みを認めてあげましょう。
非利き手で手紙を書くことで、素の感情に近い表現ができるそうです。インナーチャイルドを理解し認めることにより、自分自身への理解や肯定感が深まりますが、インナーチャイルドと向き合うのが難しいときは専門家のサポートを受けてください。
無意識に受け継がれてきた世代間トラウマを次の世代へ引き継がないために
更年期世代の親たちの間には、前世代の家父長制的価値観やジェンダーロールが植え付けられているため、知らず知らずのうちに子どもたちに前世代的価値観を押し付けてしまった人が少なくありません。
現代は、ジェンダーロールに対する考え方が変わりゆくちょうど過渡期のため、親世代との価値観のギャップに悩むケースが多いのかもしれませんね。
あなたが今、律子さんのように親との関係に悩み自分の親は毒親だったのではと悩んでいるとしたら、それは親世代から受け継がれてきている「世代間トラウマ」が原因なのかもしれません。
自分の親も無意識に脈々と世代間トラウマを受け継いできてしまっただけなのだという事実を知るだけで、気持ちが少し楽になるのではないでしょうか。また、自分のもつトラウマは子どもたちに引き継いでしまう可能性もあるので、専門家の治療を受けてまずは回復することに集中しましょう。ご紹介した自己認識の方法もぜひ試してみてください。
- Centers for Disease Control and Prevention. Heart disease and mental health disorders. ↩︎
- Intergenerational trauma is associated with expression alterations in glucocorticoid- and immune-related genes –
Neuropsychopharmacology ↩︎ - Intergenerational trauma: A silent contributor to mental health deterioration in Afghanistan – Brain and Behavior ↩︎
- https://www.instagram.com/the.holistic.psychologist/ ↩︎
- https://www.instagram.com/the.holistic.psychologist/ ↩︎